毎年5月、東京・浅草を舞台に繰り広げられる「三社祭(さんじゃまつり)」。
約700年の歴史を誇るこの祭りは、100を超える神輿が街を練り歩き、その熱気は浅草全体を包み込む一大イベントです。
初夏の風物詩として知られる勇壮な祭りですが、その内容や歴史について詳しく知らない方も多いのではないでしょうか。
この記事では、浅草神社の例大祭である「三社祭」について由来、歴史、正しい読み方まで詳しく解説いたします。
記事のポイント
- 浅草「三社祭」の内容や祭りの見どころ
- 浅草神社や三社祭の歴史や由来
- 浅草神社(三社様)と浅草寺の違いや正しい読み方
- 浅草「三社祭」の開催日とアクセス方法
浅草「三社祭」とはどんな祭りでいつから始まったのか|神社の歴史や祭りの由来・読み方を解説
- 浅草「三社祭」はどんな祭り?
- 三社祭がはいつから始まった?
- 浅草神社の歴史と三社祭の由来
- 三社祭・浅草神社の正しい読み方
浅草「三社祭」はどんな祭り?
三社祭は、東京都台東区にある浅草神社の例大祭です。
例大祭とは、神社が年に一度行う最も重要な祭礼のこと。
毎年5月の第3金曜日から日曜日までの3日間にわたって行われます。
特徴は、浅草神社の「本社神輿」3基と浅草近辺の各町内が持つ「町内神輿」を合わせて100基以上の神輿が町を練り歩くダイナミックさにあります。
神輿を担ぐ人々の熱気と観客の興奮が入り混じり、浅草の街は大いに賑わいます。
2024年の記録では3日間で約190万人もの人出があり、東京を代表する大きな祭りとなっています。
参考
三社祭の日程は3日間ですが、各日で様々な行事が行われます。
初日は大行列とびんざさら舞の奉納が見どころです。
2日目には例大祭式典と町内神輿連合渡御が行われ、最終日に本社神輿の宮出しと宮入りという祭りの最大の見せ場を迎えます。
本社神輿が各町を巡行し、夕方には神社に戻ってくる様子は圧巻です。
三社祭がはいつから始まった?
三社祭の起源は古く、鎌倉時代の正和元年(1312年)にさかのぼります。
当時は神輿を船に乗せて隅田川を渡御する「船祭り」の形式で行われていました。
この船祭りは江戸時代末期まで続けられましたが、明治以降は廃止されてしまいました。
また、江戸時代の三社祭は現在と異なり、3月17日・18日の2日間に行われ、丑・卯・巳・未・酉・亥の年に本祭が実施されていました。
さらに、当時の祭りは神輿かつぎが中心ではなく、山車(だし)が主役でした。
浅草郷や蔵前筋、浅草橋の各町からも山車が繰り出し、行列の勢いと華やかさを競い合う祭りだったようです。
祭りの日程は明治5年に新暦に合わせて5月17日・18日に変更され、さらに昭和38年からは両日に近い金・土・日曜日に行われるようになりました。
このように、時代とともに形を変えながらも、700年以上もの長い歴史を持つ伝統ある祭りなのです。
2025年(令和7年)の三社祭は5月16日(金)~18日(日)に開催されます。
浅草神社の歴史と三社祭の由来
三社祭が行われる「浅草神社」は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて創建されたと考えられています。
もともとは「三社権現社」という名前でしたが、明治時代の神仏分離令により浅草寺と分かれて「三社明神社」に改称。
その後、1873年(明治6年)に「浅草神社」という現在の名前になりました。
浅草神社は、浅草寺の草創に関わった3人の人物を祀っています。
浅草神社:御祭神
- 土師真中知命(はじのまなかちのみこと)
- 檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
- 檜前武成命(ひのくまのたけなりのみこと)
その3人とは、檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)・檜前武成命(ひのくまたけなりのみこと)兄弟と土師真中知命(はじのまなかちのみこと)です。
檜前兄弟はもともと浅草あたりで漁をしていた漁師で、土師真中知命は地域の名士だったとされています。
「三社祭」の名前の由来は、この祀られている3柱の神様(三社)にあります。
「社」という文字には「土地の神」という意味があり、浅草の土地に根差した3人の神様が乗った神輿が町を巡行する祭りであることから「三社祭」と呼ばれるようになったようです。
三社祭・浅草神社の正しい読み方
「三社祭」は「さんじゃまつり」と読みます。
また、浅草神社は地元の人々から親しみを込めて「三社様(さんじゃさま)」と呼ばれています。
これは前述のとおり、浅草神社がもともと「三社権現社」「三社明神社」という名前だったことに由来しています。
浅草神社の名前が「浅草神社」に変わったのは1873年(明治6年)のことですが、長年親しまれてきた「三社様」という呼び名は今も地元の人々に愛され続けています。
祭りの名前も、この親しみを込めた呼び名から「三社祭」となりました。

浅草神社拝殿(2025年5月撮影)
浅草「三社祭」がどんな祭りか写真解説|いつから始まったのか祭りの由来・歴史・読み方を紹介
- 浅草神社の例大祭「三社祭」とはどんな祭りなのか
- 三社祭の由来やいつから始まったのか歴史を深掘り
- 浅草神社と浅草寺の違いや正しい読み方
- 浅草「三社祭」の開催日・アクセス方法
浅草神社の例大祭「三社祭」とはどんな祭りなのか
三社祭は東京・浅草の初夏を彩る華やかな祭りです。
3日間の日程で、約190万人(2024年度)もの人々が訪れる大規模なイベントとなっています。
最大の見どころは、3日間それぞれに異なる特色ある行事です。
初日は、華やかな衣装の参加者が浅草の街を練り歩く「大行列」から始まります。
この行列の後には、独特の木製楽器を使った伝統芸能「びんざさら舞」が奉納されます。
この舞は豊作や幸運を願う意味を持ち、東京都の無形文化財に指定されています。
2日目になると、祭りは一気に熱を帯びます。
約100基もの町内神輿が浅草神社に集まり、お祓いを受けた後に町へ繰り出す「町内神輿連合渡御」が行われるのです。
神輿を激しく揺さぶる「魂振り」は、神様の力を引き出し広めるための行為で、見る人を圧倒します。
そして最終日が祭りの見せ場です。
早朝から「一之宮」「二之宮」「三之宮」と呼ばれる3基の本社神輿が出発し、浅草の街を巡ります。
担ぎ手たちの掛け声と神輿を担ぐ姿、そして夕方からの「宮入り」は三社祭最大の盛り上がりを見せます。
街全体が祭りの熱気に包まれる様子は、まさに江戸の伝統が今に生きる瞬間です。

雷門通り:三社祭の旗
三社祭の由来やいつから始まったのか歴史を深掘り
三社祭の起源は鎌倉時代の正和元年(1312年)に遡ります。
当初は神輿を船に乗せて隅田川を渡御する「船祭り」として始まり、3月18日(浅草寺のご本尊が示現された日)を中心に行われていたと言われています。
江戸時代の三社祭は、浅草寺と浅草神社が一体となって行う祭りで、「観音祭」や「浅草祭」とも呼ばれていました。
当時の氏子は「十八ヶ町」で、材木・花川戸・聖天を「宮元三ヶ町」と呼び、全体を「浅草郷」や「千束郷」と総称していました。
現在のような神輿担ぎ中心の祭りではなく、山車(だし)が主役で、十八ヶ町に加え蔵前筋や浅草橋の各町も山車を繰り出し、行列の威勢と豪華さを競っていたようです。
祭礼の後には「お堂下げ」と呼ばれる行事があり、神輿三体を本堂から下ろして浅草川(隅田川)を船で遡り、駒形で上陸して再び本堂へ担ぎ戻していたと言われています。
明治になると祭りの日程が変更され、5月17日・18日に行われるようになりました。
さらに昭和38年(1963年)からは両日に近い金・土・日曜日に開催されるようになり、現在の形になったのです。
浅草神社と浅草寺の違いや正しい読み方
浅草神社と浅草寺は隣接していますが、それぞれ異なる役割を持つ施設です。
浅草神社は神道の神社であり、浅草寺は仏教の寺院です。
興味深いのは、両者の読み方にある違いです。
浅草神社は「あさくさじんじゃ」と読みますが、浅草寺は「せんそうじ」と読みます。
この読み方の違いには日本の文化的背景があります。
日本の漢字表記では、神社のような日本古来の神道施設には「訓読み」が、寺院のような中国から伝来した仏教施設には「音読み」が用いられる習慣があるのです。
そのため、同じ「浅草」という地名でも、神社は「あさくさ」、寺は「せんそう」と読み分けられています。
歴史的には、浅草神社と浅草寺は長く一体のものとして存在していました。
平安時代から鎌倉時代にかけて広まった「神仏習合」という考え方のもと、浅草神社の神前で浅草寺の僧侶が読経し、祭礼も共同で行われていたのです。
しかし明治時代に入ると、政府による「神仏分離令」によって両者は明確に分けられることになりました。
「浅草神社」という名称もこの時期に定着したものです。
地元では、浅草神社は「三社様(さんじゃさま)」と親しみを込めて呼ばれています。
これは前述のとおり、もともと「三社権現社」「三社明神社」という名前だったことに由来しています。
三社祭の「三社(さんじゃ)」も、浅草神社で祀られている土師真中知命、檜前浜成命、檜前武成命の三神を指し、この三神が乗った神輿が町を巡行する祭りとして「三社祭」と名付けられたのです。
浅草「三社祭」の開催日・アクセス方法
2025年の三社祭は、5月16日(金)・17日(土)・18日(日)の3日間にわたって開催されます。
各日によって見どころが異なりますので、それぞれの日程をチェックしておくと良いでしょう。
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初日となる5月16日(金)は、午後1時から大行列が執行され、午後2時20分頃からびんざさら舞が奉納されます。
2日目の5月17日(土)は、午前10時から例大祭式典が斎行され、正午から町内神輿連合渡御が始まります。
午後3時には子供宮神輿「子之宮」の渡御も行われます。
そして最終日の5月18日(日)は、早朝5時30分から本社神輿担ぎ出し、7時から本社神輿宮出しが行われ、日中は氏子町を巡行。
午後には巫女舞奉奏や奉納舞踊、太鼓奉演などが神楽殿で催され、夕方から宮入りが始まります。
祭りのクライマックスを迎え、浅草の街が最も熱気に包まれる日となるでしょう。

浅草のれん会:令和7年三社祭のポスター
なお、2025年の三社祭では本社神輿担ぎ出しの時間が昨年と変更になっているそうですので、参加を予定している方は最新情報をご確認ください。
浅草神社:公式サイト
https://www.asakusajinja.jp/index.html
浅草神社の住所とアクセス方法
浅草神社(あさくさじんじゃ)
【住所】
〒111-0032 東京都台東区浅草2-3-1
【アクセス方法】
- 東武線浅草駅から徒歩約7分
- 東京メトロ銀座線浅草駅から徒歩約7分
- 都営地下鉄浅草線浅草駅から徒歩約7分
- つくばエクスプレス浅草駅より徒歩約10分
浅草「三社祭」はどんな祭りでいつから始まったのか歴史・由来・読み方について総括
以下、記事のポイントをまとめます。
まとめ
- 浅草神社の例大祭として毎年5月第3金~日に開催される
- 約190万人が訪れる東京屈指の大規模祭礼
- 初日は大行列と無形文化財「びんざさら舞」が見どころ
- 2日目は氏子44町の神輿約100基が連合渡御する
- 最終日は本社神輿3基の宮出し・宮入りが最大の山場
- 起源は鎌倉時代正和元年(1312年)の船祭りに遡る
- 江戸期は山車が主役で観音祭とも呼ばれていた
- 明治5年に新暦5月17・18日に日程が移行した
- 昭和38年から金・土・日曜開催に固定された
- 浅草神社は明治6年に現在名に改称された神社
- ご祭神は檜前兄弟と土師真中知命の三柱
- 「三社祭」は「さんじゃまつり」と読む