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埼玉

「幸手権現堂桜堤」の読み方とは?埼玉県幸手市の桜の名所|内国府間・外国府間など難解地名を調査

埼玉県の桜の名所として知られる「権現堂桜堤」。

約1kmにわたって続くソメイヨシノのトンネルと菜の花の黄色いじゅうたんのコントラストは、関東屈指の絶景として多くの花見客を魅了しています。

しかし、この「権現堂桜堤」という地名、正確にどう読めばよいのでしょうか?

さらに周辺には「内国府間」「外国府間」といった難解な地名も点在しています。

今回は権現堂桜堤の読み方をはじめ、権現堂という地名の由来や、幸手市の歴史について詳しく解説します。

記事のポイント

  • 幸手権現堂桜堤の正しい読み方
  • 権現堂桜堤の歴史と名前の由来
  • 幸手市や幸手宿の歴史と名前の由来
  • 権現堂周辺の難解地名「内国府間」「外国府間」

「幸手権現堂桜堤」の読み方とは?内国府間・外国府間など難解地名が多い幸手市の歴史と名前の由来を調査

  • 権現堂桜堤の読み方
  • 権現堂という名前の由来
  • 権現堂川と権現堂村の歴史
  • 埼玉県「幸手市」の読み方
  • 権現堂付近の難解地名「内国府間」「外国府間」の読み方

権現堂桜堤の読み方

「権現堂桜堤」の正しい読み方は「ごんげんどうさくらつつみ」です

「権現堂」は「ごんげんどう」と読み、「桜堤」は「さくらつつみ」と読みます。

桜堤は「さくらづつみ」と読む場合もありますが、幸手市観光協会のHPには「さくらつつみ」と表記されております。

ちなみに桜堤(さくらつつみ)とは桜並木が整備された堤防の総称で、権現堂桜堤の他にも東京都の荒川・隅田川沿いの「荒川堤」や埼玉県熊谷市の「熊谷桜堤」なども有名です。

権現堂桜堤入口(西端)

権現堂桜堤入口(西端)

権現堂という名前の由来

幸手市観光協会の情報によると「権現堂」という地名の由来は江戸時代後期に幕府が編さんした地誌「新編武蔵風土記稿」に記されています

「権現堂村」の項には、「村内に熊野・若宮・白山の権現を合祀せし旧社あれば、この村名起これり」と書かれており、

村の中に「熊野権現社」「若宮権現社」「白山権現社」という三つの神社を一緒にまつった古い神社があったことから「権現堂村」という名前が付けられたと考えられています

この社の創建は天正年間(1573~92年)と伝えられていますが、はっきりとしたことは分かっていません。

古文書では慶長20年(1615年)の「下総国猿島郡幸手内権現堂村御検地帳」に「権現堂村」という村名が確実に記録されています

ちなみに、名字由来ネットによると「権現堂」という名字の方も全国におよそ20人ほどいるそうです。

参考

幸手市観光協会:権現堂堤の歴史

https://www.satte-k.com/gongendo/history/index.html

権現堂桜堤の案内板と防水記念碑

権現堂桜堤の案内板と防水記念碑

権現堂川と権現堂村の歴史

こちらも幸手市観光協会のHPによると、権現堂桜堤は天正4年(1576年)頃に築かれたとされています

しかし、一度に全てが築かれたわけではなく、河川流路の締め切りやそれに伴う築堤により部分的に作られていったものが後につながり、権現堂堤となったとされています。

幸手市の公式HPの情報では江戸時代、権現堂堤は「御府内御囲堤」とも呼ばれ、権現堂川の洪水から幸手を守るだけでなく、首都である「江戸」の防災上重要な役割を担っていました

権現堂調整池(2024年撮影)

現在の権現堂調整池(2024年撮影)

権現堂川は暴れ河川としても恐れられ、宝永元年(1704年)に初めて権現堂堤が切れて以降、幾度も決壊をしてきました。

その被害は遠く江戸にまで及び、「大江戸八百八町の半ばは水浸しになる」とまで言われるほど重要な堤防でした。

明治9年(1876年)には明治天皇の東北巡幸の際に築堤工事を視察するために駕籠を止めさせ、このとき堤の名を「行幸堤」とすることが許され、記念碑を建てるために金100円が下賜されました

大正6年に刊行された「幸手町誌」には権現堂堤の風景について

「春は若草のしとね青きを素足に心地快くふむで、眼下一面黄金と光る油菜の花をながめながら蝶と戯れスミレ・タンポポ・ツクシ等と摘み草に一日の暮れるのを忘れるだらう」

と記されており、遠い昔より人々の憩いの場所として親しまれてきたことがわかります。

参考

幸手市公式HP:江戸時代の権現堂堤と幸手領

https://www.city.satte.lg.jp/soshiki/kyoudomuseum/bunkamamoru/9426.html

権現堂の歴史と国学者・橘守部についての案内板

権現堂の歴史と国学者・橘守部についての案内板(権現堂第3公園)

埼玉県「幸手市」の読み方と由来

権現堂桜堤がある埼玉県幸手市ですが、幸手という地名も一見読みにくい地名として有名です。

「幸手」の正しい読み方は「さって」です

幸手市のHPによると幸手の地名は、この地に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征に際し「薩手が島」に上陸、田宮の雷電神社に農神を祀ったという言い伝えに由来しているとされています。

その「薩手(さって)」が地名の起源となったといわれています。

東武日光線幸手駅改札前の看板

東武日光線幸手駅改札前の看板

権現堂付近の難解地名「内国府間」「外国府間」の読み方

権現堂公園周辺には、読み方が難しい地名がいくつかあります

特に難解なのが「内国府間」と「外国府間」です。

「内国府間」は「うちごうま」と読みます。

「外国府間」は「そとごうま」と読みます。

国道4号線を走っている時に「内国府間」や「外国府間」の道路標識を見て、読み方が気になった方も多いと思います。

権現堂桜堤へお花見に行かれる方は是非、権現堂周辺の難解地名にも注目してみてください

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「幸手権現堂桜堤」の正しい読み方|幸手市の名前の由来とは?桜堤付近の難解地名「内国府間」「外国府間」の場所

  • 権現堂の正しい読み方と間違えやすい点
  • 幸せを手にする街「幸手」の歴史|幸手宿や幸手領について
  • 権現堂桜堤がある権現堂第4公園の住所は「内国府間(うちごうま)」
  • 権現堂桜堤がある権現堂第2公園の住所は「外国府間(そとごうま)」
  • 桜の名所「権現堂桜堤」がある幸手市の人口が減少している問題

幸手権現堂桜堤の正しい読み方と間違えやすい点

「権現堂」は「ごんげんどう」と読みますが、「けんげんどう」や「ごんげどう」などと間違えて読まれる可能性があります。

「権現」という言葉自体は神仏習合思想において、仏が神の姿をとって現れたものを意味する言葉で江戸時代までは広く使われていたようです。

幸手市権現堂公園の道路標識

幸手市権現堂公園の道路標識

幸せを手にする街「幸手」の歴史|幸手宿や幸手領について

幸手市は埼玉県の北東部に位置し、市の東部は千葉県野田市、北部は茨城県五霞町と接しています。

幸手市は「幸せの手」と表記することから、「ハッピーハンド(幸せの手)」を街づくりのキーワードとした事業が行われているそうです

幸手駅東口ロータリーにある有名人の手形

幸手駅東口ロータリーにある有名人の手形

幸手市の歴史は古く、日光道整備以前より利根川水系による河川舟運と鎌倉街道中道の人の往来で交通の要衝として栄えていたと言われています。

1616年に幕府により人馬継立を命ぜられ、「幸手宿」となりました。

幸手宿は日光道中と日光御成道との結節点であり、日光街道の6番目の宿場町でした

城下町に併設された宿を除くと、千住宿、越ヶ谷宿に次ぐ3番目の規模だったといいます。

東武日光線幸手駅:宿場としての幸手

東武日光線幸手駅:宿場としての幸手(看板)

江戸時代の幸手市域の大半は「幸手領」と呼ばれ、現在の久喜市の一部、杉戸町の一部、春日部市の一部に及ぶ広い地域でした。

幸手領の村々によって「権現堂川通り堤川除組合」が組織され、堤防工事や水防作業が行われていました

現在の幸手市には、かつての面影を残す古民家や蔵などが残っており、幸手の歴史を感じることができます。

中でも、かつて醤油醸造業を営んでいた「岸本家住宅主屋」は、1900年(明治33年)のパリ万博で銅賞を受賞した歴史を持ち、平成21年に幸手市内初の国登録有形文化財に登録されました。

幸手宿の案内板

幸手宿の案内板

権現堂桜堤がある権現堂第4公園の住所は「内国府間(うちごうま)」

権現堂桜堤を含む権現堂第4公園の住所は「埼玉県幸手市内国府間887番地3」です。

権現堂公園は第1~第4まであるため、権現堂桜堤へ行かれる方は注意が必要です。

権現堂桜堤がある第4公園の住所が権現堂ではなく「内国府間(うちごうま)」になっています

そのため公式サイトでもお車でお越しの方は権現堂桜堤の向かい側にある「幸手市北公民館」を目印にカーナビを設定するように書かれています。

権現堂桜堤周辺地図

権現堂桜堤周辺地図:内国府間と外国府間の地名

ちなみに最寄り駅の東武日光線幸手駅から約2.5キロメートルの距離があり、徒歩だと40分程度かかります

バスでのアクセスは東武日光線幸手駅より朝日バス「五霞町役場」行きバスに乗車し、「権現堂」で下車します

車でのアクセスは「幸手IC」から約10分、「久喜IC」から約20分です。

幸手駅東口:権現堂方面行きバス乗り場

幸手駅東口:権現堂方面行きバス乗り場

権現堂桜堤がある権現堂第2公園の住所は「外国府間(そとごうま)」

デイキャンプなどが楽しめる権現堂レクリエーション公園(第2公園)の住所は「埼玉県幸手市外国府間170番地」です。

こちらも権現堂という名のつく公園ですが、住所は外国府間(そとごうま)になっています。

このように権現堂公園は第1~第4まであり複雑な構成になっています。

ちなみに第1公園は幸手市ではなく久喜市小右衛門という住所で旧栗橋町エリアに位置しています。

下の写真は権現堂第1公園の遊具広場です。

権現堂第1公園:埼玉県久喜市小右衛門50

権現堂第1公園遊具広場:埼玉県久喜市小右衛門50

桜の名所「権現堂桜堤」がある幸手市の人口が減少している問題

幸手市の人口は令和7年(2025年)3月1日時点で48,674人(男性24,506人、女性24,168人)、世帯数23,526となっています。

2021年7月に5万人を割り込み、現在は埼玉県内40市で唯一5万人を下回る市となりました

人口のピークだった1995年(5万8千人)から人口減少が続いていることが幸手市の課題とされています。

また、国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によると幸手市の人口は今後27年間で約46%減少すると見込まれています。

しかし、近年は圏央道の幸手インターチェンジ開通で交通の利便性が向上しており、今後の発展に期待が寄せられています

幸手市の人口減少

権現堂桜堤の読み方や由来・幸手市の歴史について総括

以下、記事のポイントをまとめます。

まとめ

  • 権現堂桜堤の正しい読み方は「ごんげんどうさくらつつみ」である
  • 「権現堂」の地名は、三つの権現社(熊野・若宮・白山)を合祀した神社に由来する
  • 権現堂堤は天正4年(1576年)頃から築かれ始めた歴史ある堤防である
  • 江戸時代、権現堂堤は「御府内御囲堤」と呼ばれ、江戸の防災に重要な役割を果たした
  • 幸手市の読み方は「さってし」で、日本武尊の「薩手が島」上陸に由来するとされる
  • 権現堂周辺には「内国府間(うちごうま)」「外国府間(そとごうま)」という難解な地名がある
  • 幸手宿は日光道中の6番目の宿場町で、千住宿、越ヶ谷宿に次ぐ規模を誇った
  • 権現堂桜堤がある権現堂第4公園の住所は「埼玉県幸手市内国府間887番地3」である
  • 権現堂公園は第1~第4まであり、第1公園は久喜市小右衛門に位置する
  • 幸手市の人口は5万人を下回り、埼玉県内40市で唯一5万人未満の市となっている

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